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ぐずら

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■ニックネーム  ぐずら
■年齢      50うん才
■住んでるところ 兵庫県川西市
■好きなたべもの うどん

音楽(うた)に手が届く場所をつくるため
川西市の川西共同保育園で
「保育所の3階ライブ」を企画運営

川西市の 猪名川のほとり 絹延橋のたもとに借りていた倉庫で
日々修行・研究に励んだ後 その隣りに
2011年 春
ライブのできるうどん屋
うどんキッチン・カフェ「絹延橋うどん研究所」
を開業


29年間勤めた市役所を辞めて、うどん屋のおっさんの道へ
うどんカフェ・キッチン「絹延橋うどん研究所」と、 
カフェ・ライブハウス「うどん屋の2階」 2011年3月3日月開業



 人生、とにもかくにもひとつの道を地道に続けて行くことは
経験として必要だと思う。
思っているほど人生は長くないから、
迷っている内に時間はどんどん減って行く。
「取りあえず場所を見つけそこでベストを尽くせ!」そう思う。

 どんな場所でもベストを尽くしていれば鍛えられ力もつく。
そのままその仕事を続けて行けば、
経験も技術も地位も積み重ねてゆける。
でも、他にやりたいことがあったり納得していないのに、
惰性や安心・安定、義理や人情だけの理由で
線路を走り続けているのであれば
「それでいいのかオレの人生」ということになる。

 52歳(当時)。ええ歳したおっさんだが、
人生後で後悔したくないから、
安定した生活や「地位」みたいなもんは
横に置いといて(正直惜しいけどね)
「うどん屋のおっさん」になります。

 小学校で7校、中学校で2校、
父の仕事の関係で転校を繰り返した私は根無し草である。
中学でようやくたどり着いた川西を、
自分の故郷にしたいという思い入れは強い。
まちづくりに関わりたい、
人の暮らしを支えたいと地元で就職し30年近く過ぎた。
父は70歳で亡くなって、
うちは癌の家系だから私の人生もあと20年を切った。




 音楽が好きだ。人と人がドキドキ・ワクワク・
しみじみ出会える空間を、音楽や歌で作り出したい。
「明日も頑張ろう」と思いながら帰ってゆける場所をつくりたい。

そんな音楽をつくりたい、いや、何よりそんな歌を唄いたい、
唄っている時、きいてくれる人と
ぴっとつながる経験をもっと味わいたい。
そんな気持ちでバンドも続けてきた。
子育てや仕事が忙しくそれどころではなくなっていたけど。

 

 うちの今年二十歳になる息子は、
生まれてすぐから重度のアトピーで喘息持ちだった。
小学校にあがるまでは、
毎日のように発作を起こし頻繁に入院を繰りかえした。
乳製品、卵、牛肉、幼い頃は米や小麦まで食べられず、
アワ・ヒエ・きびがご飯の替わり、
パンもこうした雑穀で焼いてみた。
いくら食事や環境に気を遣っても
毎月発作は出て救急車の常連に。
共働きなので交代で病院に泊まり、
病院からの出勤は当たり前の日々だった。
時々なら「大変ね」と言ってくれる同僚も、
仕事は忙しくなるばかりの職場、
毎月そんなことが続くとお互い顔が引きつってくる。
 そんな私たちの支えになったのは小さな保育所だった。
保護者と職員でつくった川西共同保育所。
産休明けから就学まで、息子のために
本当に力を尽くして除去食をつくり、
昼休みに吸入をする場所を提供してくれたり
健康に配慮した保育をし続けてくれた。
小学校に上がっても学校給食も食べられず、
毎日給食と同じメニューで弁当を作っていた妻が
たまにはほっとできる、安心して外食できる店は本当に少ない。
牛乳やバター、チーズ、牛肉や卵、蕎麦などの
混入しにくい例えば回転寿司やうどんの専門店、
それも禁煙・分煙、入り口に喫煙コーナーのない店というように、いける店は本当に限定されていた。

 「息子にうまいもんを食わせてやりたい、
いつも我慢している上の娘にも」蕎麦好きの私たち夫婦が、
香川までうどんを食べに行く気になったのはそういうわけ。
「うまいうまいと言うが所詮うどんやないか」そんな風に、
どちらかというとうどんをなめていた私たちだが、
2回目の香川行きで(1回目はがっかりして帰ってきた)
「本当に人生観の変わるほどのうどんを体験」をして、
完全にうどんにはまってしまった。
年に何度も香川を訪れ、一週間キャンプをしながら
うどん屋を食べ歩いたこともあった。



 そんなわけで「まちづくり」と「音楽」と「うどん」、
 役者はそろっていた。
 後は受け手のままでいるか
 作り手になるかの決断をするかどうかだった。


2004年、メジャーデビュー直後の矢野絢子と出会う。

 その頃は、仕事や組合の役員の仕事に追われ、
本当に忙しくやりがいのある毎日ではあった。
次第に音楽から離れ、唄うことも聴くことも少なくなって、
音響機材やギターに、1年以上さわりもしないような
日々が続いていた。

 
 初めて見た矢野絢子は、
大きなショッピングセンターのホールで
怖い顔して電子ピアノを弾いていた。
バイオリンの史香さんと2人で、
がんがん弾いてがあがあ唄って帰って行った。

 高知で「歌小屋の2階」というライブハウスを運営し、
歌小屋で歌い続けられることを条件に
メジャーデビューをしたという矢野絢子の、
激しく時に胸にしみいる歌。生活の根っこにこだわり、
そこから花を咲かせ続けようとする姿勢。
それに引きつけられて夜行バスで何度も高知の
「歌小屋の2階」を訪ねるようになった。

そして一年、アルバム「窓の日」リリースツアーの
大阪公演の前日に、
「生ピアノのある小さめの会場でライブのできるところはないか」と相談を受けた。
音響機材はある、後は場所だけだった。
    ――「ピアノのある小さめの会場」



 ちょうどその頃、川西共同保育所は保護者やOB、
地域の人たちの力を借りて、建て増しをし、
今まで狭くて置けなかった生ピアノも、
保護者から譲り受け置けるようになった。
新しくなった保育園をもっと沢山の人に見て欲しい、
知って欲しい、そんな思いで認可保育所の道を歩み始めていた。

 ピアノのあるいい場所があるやん。
こども達の息づかいが染みついた保育所の3階で
コンサートをやることになった。
矢野絢子の「歌小屋の2階」に対抗して
「保育所の3階ライブ」は始まった。
それから、
ハンパート ハンバート、ふちがみとふなと、ヴォセ、
Ett、三田村管打団?、ハセガワミヤコ、イノトモ
、鍵盤女(中ムラサトコ・鈴木亜紀)、タテタカコ、かとうかなこ
私が知り合った大好きなミュージシャンが
保育所の3階でちょっと不思議な暖かいライブを作りに来てくれ、
とうとう13回を数えた。
 

 学生時代の後輩がうどんにはまった、
仕事を辞めてうどん屋になる、
香川に修行に行くから一緒に行きませんか。
うどんを勧めた責任上この話は断れなかった。
一度家で失敗して以来うどんづくりに懲りていた私だったが、
この数日の経験がどれだけ楽しかったか。
わざわざ休みの日に金も貰わず人のうどん屋手伝って
何が楽しいのか、うどんを混ぜ、踏み、延ばしていると
なぜか笑えてくる。 
小麦粉を混ぜたり踏んだり延ばしたりすることがなぜか楽しく、帰ってからも夜な夜な笑いながらうどんを打っている父を、
家族はさぞかし気持ち悪かったに違いない。
 
そしてそのうどんを食べた息子がいう「普通にうまいやん」


 こうして、川西でうどん屋とライブハウスをはじめることになった。

 めっちゃうまいうどん、
 安心・安全な、野菜中心のおかずが
 しっかり食べられるところ。

 老いも若きも障害のある人も、
 ぼーっとしたい時、いつでも来てのんびりできるところ。

 ワクワク、どきどきのライブが出来る場所、つくります。
 
 場所は川西市小戸、絹延橋駅からすぐ

 絹延橋のたもと、猪名川のほとり
 見上げれば五月山
 
 保育所の3階ライブ共々これからもどうぞよろしく。